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Sido Kaito no Kobea

獅導海斗の日記ブログ。

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[D]とりとめもないこと
おはようございます,獅導海斗です.
今回は神道について少し書きます.

===

『日本書紀』成立は藤原不比等政権下であり,
都合のよいように書かれたことは想像に難くない.
しかしこの後,「神道」―――人の心のよりどころ
としての神―――はさまざまな説が出てくる.
室町から江戸時代にかけてに有力な吉田神道,
本居宣長における古事記解釈,平田篤胤,山崎闇斎・・・
黒船来航から布教を許可された(らしい)天理教などなど
である.
まだその頃は天皇は恐れられる(現人)神―――
手をかけると祟られる神―――であり,ある意味
現在の象徴としての天皇と同義であったのだろう.
(無論,私見であるが)
当時の先進諸国では神道は雑駁な宗教でしか見てなく,
(一神教より)劣る,下等な信仰とみなされた.
明治維新後の政府は急激に近代化を図り,後の日露戦争に
おいて一等国入りを果たす.
その頃には神道はラフカディオハーンらに代表されるように
見直されてきていたようだ.
だが自国に自信を持った当時の政府は天皇を特別な存在
としての神(神国思想だとわかりやすいのか)として祭り上げる.
それは周知のとおり,第二次大戦終結まで続くことになる.
結果,悲惨な戦争の結末となった.

神道自体が悪いわけではない.
宗教とは有力者に利用され,しっかりと善悪を認識・判断しない
ことが問題であって,本来は中立的な存在であるはずである.
大戦のことがあるからと,一方的に非難するのはおかしくあり,
しっかり区別して考えてほしいし,すべきだろう.

日本はなんといっても神仏習合した特異な国であるから,
心に神(仏)を抱いて心のよりどころとして恥じることはないと思う.
また,神とはすなわち人の心に宿るものであるから,
なんら恥じることはないだろう.
神格は関係ない.
伊勢神道やそのほかの信仰・教団にある重要視する神の
存在も考えなくてよい.
神道の神は八百万神であるからだ.

私自身も氏神が存在することがわかれば,信仰して
みたいと思う.
・・・と,書いているうちに何を言いたいのかがわからなくなって
しまった.
先ほども述べたが,靖国神社でなんとなく印象を悪くしている
神道を弁護したかっただけである.
いや,自分がちょっとはまっているから自慢したかっただけ
かもしれない.

とりとめもないことを徒然と書いた.

===

[BGM]

「サヨナラバス」(ゆず)

以上です.


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