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文徳源氏については昨日書いた(⇒11/07/25:文徳源氏/B'zライブ)
さて次はもっとも有名であろう「清和源氏」の話である。
清和源氏には鎌倉幕府を開いた有名な方がいらっしゃる。
しっかり書いておきたいので明日含め2,3回に分けて
書こうと思う。今日は時代背景を記す。
毎度のことだが清和天皇の子が臣籍降下したのが清和源
氏である。外祖父である藤原良房の圧力により皇太子と
なり天皇になった文徳天皇の子である。即位はわずかに
9歳。藤原良房が政治の実権を握っていた。
当時の左大臣は源信(嵯峨源氏)であり行政最高権力者
であった。藤原良房の当時の地位は太政大臣であり及ぶ
ところではないのだが”皇族の外戚”という事実が律令
制とはまた違った権威をふるうのである。ドラマでも王
家一族の専横で臣下の言を潰したりといった話はよくあ
るとおりである。
こういった状況の中で応天門が放火された。大納言半喜
男(とものよしお)は左大臣源信と告発したが、太政大臣
藤原良房のツルの一声で逆に犯人とされた。大納言半喜
男は源信と仲が悪かったようだから告発自体ガセネタだっ
たのだろう。その事件後から左大臣源信はショックのた
め蟄居、気分転換の狩りで落馬し命を落とす。あながち
犯人は藤原良房の手のものだったに違いない。
ともあれ事件を解決した藤原良房は摂政へと昇格する。
摂政という地位はは三公(太政・左右大臣)の上であっ
た。それは君主が幼少、病弱などまともに政務が出来な
い理由で別のものが政務を取り仕切る必要があったから
だ。
その当時においてはすでに元服していた清和天皇であっ
たが、藤原良房の権勢が凄まじく政務を取り仕切る自信
がなかったのかもしれない。あるいは放棄したかもしれ
ない。
こうした経緯で天下は藤原一族のものとなったわけであ
る。正確には藤原北家隆盛の基礎を確立した、である。
少し藤原氏のことを書くと、藤原鎌足の子・藤原不比等
の子である武智麻呂、房前、宇合、麻呂の4人が奈良時
代前半(当時の天皇は聖武天皇)に政権を握る。彼ら4人
の子孫がそれぞれ藤原南家・北家・式家・京家となって
いく。
藤原良房は藤原北家の一族で、他家一族は政治的に衰退
していた。藤原道長も当然北家である。
さらに余談だが武智麻呂、房前、宇合、麻呂の4人の死は
『AirRPG』(はちみつくまさん)でネタに使われた。これが
結構おもしろかったりする。
話を戻す。
そういった藤原北家天下のとき、清和源氏の祖・経基王
(つねもとおう)が源姓を賜り臣籍降下となったのが清和
源氏の始まりとなる。経基が生きた時代は「将門の乱」
「藤原純友の乱」が起きたりしておもしろそうである。
機会があったら書くこととして今日はこれまでにする。
[今日の一枚]
予告していた線画です。
前髪は彩色時に整えようとしてわざと書いてません。

さて次はもっとも有名であろう「清和源氏」の話である。
清和源氏には鎌倉幕府を開いた有名な方がいらっしゃる。
しっかり書いておきたいので明日含め2,3回に分けて
書こうと思う。今日は時代背景を記す。
毎度のことだが清和天皇の子が臣籍降下したのが清和源
氏である。外祖父である藤原良房の圧力により皇太子と
なり天皇になった文徳天皇の子である。即位はわずかに
9歳。藤原良房が政治の実権を握っていた。
当時の左大臣は源信(嵯峨源氏)であり行政最高権力者
であった。藤原良房の当時の地位は太政大臣であり及ぶ
ところではないのだが”皇族の外戚”という事実が律令
制とはまた違った権威をふるうのである。ドラマでも王
家一族の専横で臣下の言を潰したりといった話はよくあ
るとおりである。
こういった状況の中で応天門が放火された。大納言半喜
男(とものよしお)は左大臣源信と告発したが、太政大臣
藤原良房のツルの一声で逆に犯人とされた。大納言半喜
男は源信と仲が悪かったようだから告発自体ガセネタだっ
たのだろう。その事件後から左大臣源信はショックのた
め蟄居、気分転換の狩りで落馬し命を落とす。あながち
犯人は藤原良房の手のものだったに違いない。
ともあれ事件を解決した藤原良房は摂政へと昇格する。
摂政という地位はは三公(太政・左右大臣)の上であっ
た。それは君主が幼少、病弱などまともに政務が出来な
い理由で別のものが政務を取り仕切る必要があったから
だ。
その当時においてはすでに元服していた清和天皇であっ
たが、藤原良房の権勢が凄まじく政務を取り仕切る自信
がなかったのかもしれない。あるいは放棄したかもしれ
ない。
こうした経緯で天下は藤原一族のものとなったわけであ
る。正確には藤原北家隆盛の基礎を確立した、である。
少し藤原氏のことを書くと、藤原鎌足の子・藤原不比等
の子である武智麻呂、房前、宇合、麻呂の4人が奈良時
代前半(当時の天皇は聖武天皇)に政権を握る。彼ら4人
の子孫がそれぞれ藤原南家・北家・式家・京家となって
いく。
藤原良房は藤原北家の一族で、他家一族は政治的に衰退
していた。藤原道長も当然北家である。
さらに余談だが武智麻呂、房前、宇合、麻呂の4人の死は
『AirRPG』(はちみつくまさん)でネタに使われた。これが
結構おもしろかったりする。
話を戻す。
そういった藤原北家天下のとき、清和源氏の祖・経基王
(つねもとおう)が源姓を賜り臣籍降下となったのが清和
源氏の始まりとなる。経基が生きた時代は「将門の乱」
「藤原純友の乱」が起きたりしておもしろそうである。
機会があったら書くこととして今日はこれまでにする。
[今日の一枚]
予告していた線画です。
前髪は彩色時に整えようとしてわざと書いてません。
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