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Sido Kaito no Kobea

獅導海斗の日記ブログ。

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11/07/29:清和源氏4:大和源氏
昨日は「清和源氏」が3つの流れのうち「摂津源氏」に
ついて書いた(⇒)。

今日は「大和源氏」の流れを見ていく。「河内源氏」が
一番繁栄したようなので明日以降に書く。

「大和源氏」も「摂津源氏」同様、結果的に没落してい
く。

大和(奈良県あたり)一円に広がり土着していく。以前か
ら抗争を繰り返していた南都(延暦寺を北嶺と称するに
対して奈良死の寺院・興福寺につけられた通称)に組みし、
「大和源氏」と対立する一族の者もでる始末であった。
後白河法皇方と崇徳上皇方とに別れた保元の乱では後者
に味方し捕虜になり流罪になる。しかし南都を牽制した
い後白河法皇により罪を許された。

俗に言う源平合戦(治承・寿永の乱)において目立つこ
とが出来ず、勢力を格段に広げることが出来なかった。
その後次第に諸国へ拡散していくことになる。つまり戦
国時代には家臣団に一族がいても戦国大名として活躍し
た子孫はいなかった、とこういうわけであると解釈する。

○「大和源氏」の末裔
・大和国の宇野氏
・織田信雄に仕えた土方氏
・肥後国の隈部氏
・陸奥国の石川氏
・三河国の高木氏
・伊予大森氏など

勢力および一族を保ち続けるには戦場において目立った
活躍をするしかない。できなければ、あるいは着いた側
が悪ければ没落する。

一族の長は会社の社長に匹敵するプレッシャーであった
ろう。

さて、現代の首相陣に一族(日本国民)を背負う覚悟で持っ
て望んでいるのだろうか。


[今日の一枚;休刊]
先日の日本橋は結局原稿用紙と雑誌一冊買っただけ
でした。

HappyBirthDay To Me!

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