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Sido Kaito no Kobea

獅導海斗の日記ブログ。

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11/07/23:鍋島藩
昨日は『葉隠』について述べた。(⇒11/07/21ということで
口述者である山本常朝の主君・鍋島家がどのようにして
成立したのか、気になったので調べてみた。

宇多源氏とは59代宇多天皇の子孫という。

またその枝族である佐々木一族は滋賀県蒲生郡佐々木荘
を本貫地とした武士集団だ。佐々木秀義は源頼朝の父・
義朝に味方する。彼の4人の子も頼朝の家人として仕えた。
平家打倒に活躍した彼らは近江をはじめ17ヶ国の守護を
任され、その他奥州での戦いに参じた一族は奥州に土着
し広がったそうだ。

佐々木一族は佐々木京極氏、佐々木六角氏などと変遷し
鎌倉幕府の重鎮で居続けた。承久の乱や足利幕府発足に
も一族が敵味方にわかれながらも影響を与えた。

さて、長岡伊勢守経秀という人物が鍋島藩の祖で宇多源
氏佐々木一族だというが、さすがにwikipediaでは記載
がない。そこで『さがの歴史・文化お宝帳』という佐賀
市地域文化財データベースサイトを参照した。

しかしながら長岡伊勢守経秀が肥前鍋島に居を移したの
か、その理由を言明しているところはなかった。龍造寺
村から勢力拡大中の龍造寺氏に何かしらの理由で近づい
たのでは? という記載が見受けられる。

戦国時代には豊後大友氏、島津氏とともに九州三強となっ
ていた龍造寺氏。その家臣団の一つが鍋島氏となる。主
家である龍造寺氏に匹敵する勢力をほこっていたようだ。
江戸幕府に入ってからは主家にとって変わり藩政を取り
仕切る。

江戸幕府末期に至ると外国技術をよく取り入れ、近代装
備をもった有力な藩へと成長する。ただ、倒幕参加が遅
かったため島津氏(薩摩)や毛利氏(長州)に比べ政治
的権力を得ることができなかった。当時の藩主鍋島直大
は侯爵に奉じられた。

私の身の回りのもので、またこれまで見てきた中で「鍋
島」という名を実際に見たことはない。

閑話休題。

NHKドラマ『テンペスト』を観た。

Gacktがいつ出てくるか、と思って見ていたのだが、わ
かるシーンがないまま終わってしまった。

で調べてみると徐丁垓という人物が役らしい。

予告の最後に出てきたのを思い出すと、例えば妖術師
のような感じでいかにも異端者的な姿形をしていた人物
であった。

似合っているようで、少し非道いかもと思った。

なお、作品全体を通して道化や嫌味な役がうますぎて
真面目なキャラが薄い。主人公も含めて。

第一話の最後の展開の速さもちょっとマイナスかも?
と思わないでもなかった。…が、むしろそこを突っ込め
るからいいのか? とも思う。

来週のGacktの活躍に期待する。


[今日の一枚:休刊]
言い訳は、朝から頭痛くて作業できなかったから。
まいどのことだが夕刻から調子出てくるんだけど
今度は眠いという……。
医者にかかるべきなのか? ならどの科になるの
だろうか?


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